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  • 「いっぱい悩んでいいんだよ」不登校を経た研究者がいま伝えたいこと

    NPO法人eboardの理事・村山は、小学5年生から高校1年生までの約5年間の不登校の経験を経て、教育の道を志しました。現在は大学講師として教員・保育者養成に力を注ぐ一方、eboardではeDojo(不登校支援の質的向上に向けたサポート人材育成プログラム)を学術面からサポートしています。

    不登校だった頃の状況や思い、どのように研究者の道を歩むようになったのか、いま不登校の子ども達や周囲の大人の方に伝えたいことについて、話を聞きました。

    自分を責めつづけた不登校期間

    不登校期間は、何をして過ごしていたのでしょうか?


    時期によってバラバラでした。最も辛かった時期の生活は、何事にも絶望的で、何もやる気がおきない状態でした。起きている時は「なんで自分は学校に行けないんだ」とか「こんな自分は人生終わりだ」とかそんなふうに考えて、自分を責めてしまう。悩むか眠るかのどちらか、という何もしていない(できない)期間が続きました。


    その頃はプチ自殺も試みました。ひたすら息を止めてみたりとか、絶食をしてみたりとか、全部失敗に終わりましたが…。絶食は、成長期ですから2日もすると耐えられなくなりました。他の元不登校の人々の話をきくと、息止めと絶食は割と試みて失敗した人が多い印象です。


    今はそんな笑い話にできますが、当時は自殺を試みてもうまく行かず、死ぬことすらできない自分を余計に責めて、ひたすら負のスパイラルに陥っていく感じでした。そうなると、眠ることでしかその思考から抜け出すことができないので、強引に寝ていました。


    (後述する)派遣の先生が家に来てくださるようになってから、将棋やカードゲームを教えて頂き、少しずつできることが増えていきました。そうやって、寝ている時間をだんだん少なくするようにしていきました。



    不登校になったきっかけは何ですか?


    小学5年生の秋から不登校になったのですが、具体的に「これ」というキッカケはありませんでした。色々なことが重なったのですが、一言でいうと「自信を失った」ことがすごく大きかったです


    それまでずっと器械体操をやっていて、選手を目指すコースに所属していたのですが、コーチとうまくいかなくなり、結局やめることになりました。さらにそのタイミングで、クラス内で当時で言う「いじり」(※現在はいじめに相当する)がグルグルまわっていました。そこで自分がターゲットになってしまい、弱っている時にダメージを受けて気持ちが沈んでしまいました。


    それから休んだり登校したりを繰り返し始めました。まだ「不登校」という言葉も浸透していなかったこともあり、当時の担任の先生もあまり理解がなく、ぶつかってしまい、パタリと学校に行けなくなってしまったんです





    中学生になってからは、学校や勉強はどうしていたのでしょうか?


    環境が一回変わったので、中学1年生の5月の連休あたりまではなんとか登校しました。しかし、それまでの人間関係をうまくつくれていなかったので、少しずつ行きづらさを感じて行けなくなりました


    ただ、担任の先生が3年間受けもって下さって、ずっと支えてくださいました。中学2年生の時に、その先生が陸上部を立ち上げて、そこに入れてもらいました。そのころから、授業には出れないけれど部活には参加させてもらう形になりました。当時としてはかなり特例だとは思うのですが、先生がとても頑張ってくれたんだろうなと。


    教科の勉強は…ほとんどしていなかったです(笑)。例えば、中学校3年生の時点で、英語の「3単現のs」が分からない状態でした。今でも都道府県全部は言えないです。これ、今の学生に聞かれたらマズイですね(笑)。ただ、小学校の頃から、教育委員会から派遣で来てくださる現職の先生がいました。その先生も私の人生の中では、大きな出会いとなった先生なのですが、週1回ないしは隔週で自宅に来て下さり、勉強は月1〜2回くらい教えていただいていました。学校の授業の様な感じではなく、興味のあることを教えてもらう形でした。



    サポート校でできた「友達」

    中学卒業後、高校についてはどうでしたか?


    はじめは全日制の高校に入学しましたが、やはり通学を継続するのが難しく、夏休みで息切れしました。アクセルとブレーキの踏み方が分からず、始めからアクセル全開で飛ばしてしまった感じでした。そこで、2学期からは通信制高校に編入してサポート校に通うことになりました。

    サポート校とは
    通信制高校の卒業に向けたサポートをおこなう民間教育施設。多くは通信制高校と連携しており、サポート校の授業を受け、テストやレポートを出すと、提携する通信制高校の卒業資格がもらえる。

    サポート校では通常の学校と同じように時間割も決まっていて、基本的には毎日通うのですが、授業を受けなくても自分で勉強を進めて単位を取ることもできました。好きなタイミングで自由に通えて、自分のペースで勉強を進めることができたのがよかったです



    高校1年生で、学校に通えるようになった原因は何だったのでしょうか?


    復帰のきっかけを一言で答えるとしたら「友達ができたこと」ですね。最初は学校に通ったり通えなかったりのリハビリ期間でした。高校1年の11月に学祭があり、その時期に仲よくなった友達が自分を受け入れてくれるようになったんです。初めて友達とカラオケに行ったり、バンドを組んだりして仲よくなり、その後は継続して学校に通えるようになりました。


    それまでは、友達をつくることに不安があって、人間関係も分からず、余計な一言を発してしまったり、求められているのに会話を返せなかったりといったことがあったんです。だから、「今のままで大丈夫だよ」と認めてくれる友だちができたのは大きかったですね


    元々、私の通ったサポート校は不登校の子を多く受け入れていましたし、何かにちょっとつまずいた子が多かったんです。ですから暗黙の了解で「踏み込みすぎないし、踏み込ませすぎない」みたいな感覚がお互いに分かる中で、関係を築くことができたのもよかったです



    教育学部への進学と、自分の変化



    その後、大学で教育を学ぼうと思ったのはなぜですか?


    高校でできた友達に「お前、先生になったらいいんじゃないの?」と言われて、それを真に受けました(笑)。「学校が好きな人ばかりが先生だと、自分たちのような者の居場所がないね」みたいな話だったかもしれません。自分と同じような悩みや苦しさを抱えている子どもたちに対して「実体験をした自分だったら何かできるかな」と、考えるようになりました



    大学進学後、自分自身に変化はありましたか?


    大学に入ってすぐは、カルチャーショックを受けたのを覚えています。教育学部に入ったので、そもそも学校大好き!先生大好き!みたいな人が多いんです。さらには、冗談で「馬鹿」とか「死ね」とか「もう来るなとか」普通に言うんですよ(笑)。サポート校ではそういった言葉は禁句というか、絶対に使わない言葉だったのに「普通の人たち」って平気でそういうことを言いあえるんだなと思いました


    大学1年生の間は、そういう文化の違いであったり、一般の人たちってこういう感じなんだなという感覚を鍛えてもらった時期でした。そこを超えないと、なかなか今の自分にはなれなかったかなと思います。

    その後、進路選択の転機になったのは、大学3年時の授業でした。プレゼンテーションを学ぶ授業で、教育に関する自身の経験がテーマになっていて。他の学生は、学校ボランティアや教育実習の経験を発表していましたが、私は自分自身の不登校経験を語ることにしました。 


    とても緊張したことを覚えています。過去の苦い経験であり、大きな挫折だと思っていたので、周りにはそれまでずっと隠してきました。心のどこかに「周りとは違う自分」を感じていて、それをさらけ出すのがとても怖かったです


    でも、授業で同級生にプレゼンをしたところ「ものすごく役に立った」「そんな世界や子どもがいることを分かっていなかった」「教員になる前に聞けてよかった」と、涙を流してくれた人までいました。

    その時に、自分はこうやって自身の居場所をつくっていくことができるんだ、弱い自分、挫折した自分、ダメな自分が人の役に立てるんだと実感できたんです


    今振り返ると、それまでの自分は他人の欠点を指摘したり、他人より高い点数を取ることで、自分の存在を認めさせようとしたりしていました。でも、この経験で本当に「認められる」というのはそういうことではないんだと、気づくことができました。「ありのままの自分でいい」と思えるようになったんです


    すると、それまで自分の中にあった心のよどみや、「また行けなくなるかもしれない」という漠然とした不安が、すっと消えていくのを感じました。

    自分の経験、力の使い方を見つけることができ、真の意味で不登校から自立できた瞬間だったと思います


    その後、自分が学校の先生として子どもたちに向き合うことも大切だけれども、次の教員になる学生たちを育てることで、自分の想いを継いだ教員が増え、結果的に自分一人が出会う子どもよりたくさんの子どもの力になる可能性があると教わりました。それから、教員養成系の大学教員(研究職)を目指すようになり、さまざまなご縁をいただいて今の仕事に繋がっています。



    いま、不登校の子に伝えたいこと

    不登校が増えている要因は、何だと思いますか?


    大人も子どもも皆が忙しくなっていて、子どものちょっとした成長や変化、それから不安や悩みで立ち止まることを認めてあげる機会が、どんどん少なくなっているのかなと感じます


    子どもにとっては、物理的にも心理的にも周りに「いてくれる」大人が少なくなっていると思います。「何かできた」あるいは「できなかった」時に、それを見つけてくれる人が少なくなってきているのではないでしょうか。


    大人が、自分の子ども時代にはできなかった経験を懸命に与えようとしていることも影響しているかもしれません。結果的に、子どもが自由に選んで進んでいくというよりは、大人に与えられて動く機会が多くなってしまっている。学校でも私生活でも、あるいは近年はネット上でも、じっくり持てる「自分の時間」が少なくなってきていると感じます


    そうすると、きっとどこかで疲れてしまったり、ストレスが溜まったり、どこかで「ゆがみ」が出てくるのではと思います。その形が「落ち込む」という方向かもしれないし、「非行に走る」かもしれないし、「落ち着きがない」かもしれません。具体的にどういう影響が出てくるかはそれぞれ違うと思うのですが、根本にあるのはそういうことなのかなと思っています。



    最後に、いま不登校の子ども達や、周りの大人の方へのメッセージをお願いします。


    いま不登校の子ども達には「いっぱい悩んでいいんだよ」と言いたいです。絶望して、ぶつかって、落ち込んで、みじめで、「そんなあなたで今はいいんだ」と伝えたいです


    よく「悩まなくていい」などと言われるのですが、よほど強い人じゃないと、どうしたって悩んじゃうんですよね(笑)。だって、「みんな」が行っている学校に自分だけ行けなくなっているんですから。悩むことや辛い気持ちになることは、悪いことなんかじゃありません。


    かっこいい言葉が浮かばないのですが、悩んで傷ついて、それでも向き合い続けた先に、自分なりの答えが必ず見つかると思うんです。そういう人は、強く優しくあれると思います



    不登校の子の周りの大人の方には、手を差し伸べ続けてほしいです。不登校の子は「不登校だからこれができない」「不登校だった自分にこれはできるわけがない」と自分で自分の可能性を断ち切ってしまうことがあります。そうすると、外から手が差し伸べられているのに、その繋がりも断ち切ってしまう。傷ついているからしかたのないことではあるのですが、自分から退けてしまうことが結構あるんです。だからこそ、そういう子を見捨てずに、手を差し伸べ続ける人の存在はとても大切だと思います


    大人になった私が今も大切にしている、不登校だった自分が最も苦しかった時に抱いていた気持ちがあります。それは「先生でもいいから、友達が欲しい」です。もちろん、本当に先生に友達になってもらいたいわけではありません。友達のように、ありのままの自分を認めて接してくれる存在を求めていたんだと思います


    いつか立ち上がれる時がきます。でも、不登校に万能薬はありません。悩んで悩んで苦しんだからこそ見えてくることがあるので、いま不登校のあなた、保護者の方、支援にあたっている方には「焦らずに、いまをいっぱい悩んで下さい。悩んでいいんですよ。」と伝えたいです。


    話し手:村山大樹(帝京平成大学 人文社会学部 児童学科 講師)

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