教育現場で利用する
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2022年2月に始まったロシアによるウクライナ侵攻。ウクライナ国内における戦禍と共に、ウクライナから逃れた方々や日本での受け入れについても、日々ニュースで報じられています。eboardをご利用頂いているご縁から、日本国内の難民支援を行う社会福祉法人「さぽうと21」の矢崎さんに、お話をうかがいました。
日本は国際的に見ても、難民認定が少なく、そのイメージがわきづらい印象があります。日本における「難民」は、具体的にはどのような方々なのでしょうか?
日本における「難民」は、大きく3つのグループに分けることができます。1つ目は、1970年代後半、ベトナム戦争の終結前後にインドシナ三国(ベトナム・ラオス・カンボジア)から逃れた「インドシナ難民」と呼ばれる人たち。これが、日本の難民受け入れの始まりです。現在インドシナ難民の新規受け入れはありませんが、私達の団体では、2世・3世の方々を継続して支援しています。
2つ目が「条約難民」の方々。日本は、インドシナ難民の受け入れをきっかけに、1981年に難民条約に加入したのですが、その条約に基づいて認定を受けた方々です。ただ、ご存知の通り、この条約難民の認定率はとても低く、1982年から現在までの総数で1,000人に満たない状況です。
3つ目が、「第三国定住」で受け入れられた方々。第三国定住とは、難民キャンプなどで受け入れられた一時的な難民を、新たに受入れに合意した別の国へ移動させることです。例えば、ミャンマーからタイ国境の難民キャンプやマレーシアに逃れていた方が、日本にはやってきます。日本は、2010年から、アジアで初めて第三国定住による難民の受け入れを開始し、2019年までは30人を限度に受け入れています。
こうした難民認定を受けた方以外にも、認定は受けていないが在留資格が得られた方も、さぽうと21の支援対象です。
▲ さぽうと21 学習支援室コーディネーターの矢崎理恵さん
ただ、難民の方々を「そこまで特別視してほしくない」とも思います。2世・3世ともなると、日本生まれで、日本語でのやりとりには何の支障もありません。「難民」と聞くと、悲観的なイメージを持たれるかもしれませんが、母国を離れ、新しい国で生きていくことを決めた、とてもパワフルな方も多い。ウクライナ侵攻で、自治体担当者の方から受け入れについての問い合わせがあるのですが、何も特別なものではありません。「あなたの自治体にも、難民や外国につながる方は、すでにたくさん生活されていますよ」とお伝えしています。
難民の方々、特に子ども達が抱える困難は、どういったところにあるのでしょう?
まず、親の社会的地位が高かった方が多いのは、大きな特徴です。特に政治的な理由から難民になる方の中には、母国政府の中枢にいたような方や、何かしらの組織で指導的役割を果たしていた方もいます。そうした方々は、我が子に「難民として逃れてきたことを、負い目に感じてほしくない」と、母国で自身が受けてきた教育と同じか、それ以上の教育を受けさせたいという教育熱心な方が多いです。
一方で、二極化も進んでおり、苦労を重ねた結果、生活保護等の支援に頼ることになるケースもあります。また、難民固有の悩みとして、日本で同じ国の出身者と出会っても、自分の身元を明かせない という場合があるという点も挙げられます。難民であることが知られてしまうと、自分や相手に危険がおよぶ可能性があるからです。そのため、不特定多数の外国人が集まる場所に行くのがためらわれ、同国人コミュニティーの中で孤立してしまうことも少なくありません。また、近年増えているムスリムの方は、日本と生活習慣や文化が異なることも多く、子ども達についても、定着に難しさを感じていると思わされることが多いです。
▲ シリア内戦による難民キャンプ(ヨルダン)
もう1つ、難民固有の事情として、「母国へ帰るという選択肢が少ない」ことが挙げられます。難民として日本への定住が決まった時点で、原則として日本でずっと暮らしていくことになります。母国で様々な事情があったとはいえ、大人はそれに納得をして、腹を決めて日本での生活を始めますが、子どもはそう簡単にはいきません。母国を逃れた理由は、一言では説明できないケースもあり、子どもには理解できないこともあります。頭ではわかっていても、気持ちがついていかないものです。
特に最近では、SNSやオンラインゲームを通じて、母国の友達と簡単にやりとりを続けることができるようになりました。それだけ見れば悪いことではないかもしれませんが、母国とのつながりが切れないと、日本での生活や勉強へ切り替えることができない、「スイッチが入らない状態」が続いてしまうこともあります。母国と時差がある場合、かつての友達とのネット上でのやりとりを夜遅くまでやめられず、昼間学校の勉強に身が入らない、いつまでたっても日本のクラスメイトと関係を築けないということもあります。ネットの便利さと共に、対応の難しさを感じるところです。
さぽうと21の活動について、教えてください
さぽうと21では、難民認定を受けた方や在留特別許可の出た方など、日本での定住が決まった方を中心に、相談事業、自立支援事業、学習支援室事業、そして自然災害時などに難民の方への支援を行う緊急支援事業の4つを行っています。私が担当する学習支援室事業は、外国人ということ・言葉がわからないということが、学ばない・学べない理由にならないようにとの思いで活動しています。
▲ 学習支援教室の様子
学習支援室事業は、教室にやってきてもらう「拠点型」、コロナ禍に始まった「オンライン型」、学習希望者宅近くに会場を借りて、支援者にはそちらに訪問して学習活動を行っていただく「アウトリーチ型」の3つのタイプがあります。拠点型は、東京都内に目黒・錦糸町の2つ、千葉の行徳・高洲に2つ、計4つの拠点があります。このうち行徳は、シリアを始めとしたムスリムを対象とした教室です。オンライン型を合わせると、現在学習者は170名ほど、このうちロヒンギャ難民二世が60名ほどを占めます。
学習支援は、基本的にボランティアが担当しますが、必ずさぽうと21のコーディネーターがつくようにしています。ボランティアが困った時、わからないことがあった時にそれを抱えこまないようにすることが大切で、全体を見ることができ、ボランティアが相談できるコーディネーターの存在は欠かせません。日本語の学習が必要な子には、日本語教師が本業のボランティアがつきますが、多くの子は日本語と並行して、教科学習を進めていきます。教科学習は、大学生など教科指導ができる方が担当し、日本語への配慮をしつつ、丁寧に日本語で教えてくれています。
教科学習では、学校の宿題を持ってくる子が多いですが、当然それだけやっていても学力はつきません。宿題ができた後、「何をしようか?」となると、自主学習ノートや漢字、計算問題などになりがちですが、こうした際にeboardが活きてきます。特にオンラインの場合は、こちらから教材を送ることもできないため、支援者と子ども達が同じ画面を見ながら話せるeboardは、非常に助かります。学習履歴も残っていくため、複数の支援者が1人の子に関わる場合にも、情報共有がスムーズです。個人的には、映像授業の少しくだけた口調の関西弁でしょうか、あれも親しみやすくて、いいなと思います。
難民の子ども達への学習支援で、難しいと感じるところはどこですか?
矢崎さん:まずは、どの言語であっても中途半端にしかわからないがゆえの難しさ、ですね。難民の子の中には、母国にいる時から、複数言語・複数文化環境で育ってきている子もいます。例えば、ミャンマーの公用語はビルマ語ですが、カチン民族の方が家庭で話すのはカチン語です。それ以外にも、周りにはカレン語、シャン語などがあり、「どの言語についても、すベては理解できない」「聞けばわかる言語と、読み書きはできない言語がある」などの状況が、子ども達には当たり前です。そうした子ども達は、言葉を聞き流すことに慣れてしまっているところがあります。わからないことが苦ではない。そもそも「どこまで理解すべきなのか」という基準が、あいまいなんです。
日本語が話せるようになった後になって、課題が表面化してくることもあります。いわゆる「10歳の壁」と呼ばれるものです。難民の子に限ったことではありませんが、友達と問題なく会話ができていると、外国につながる子の親や先生は「日本語には問題がない」「勉強もできる」と思いこんでしまうことがあります。それが、学習内容が高度化、抽象化してくる9〜10歳前後になって、つまずきが表面化してくることがあるんです。
言葉の問題以外では、先ほども少しお話したスイッチ、やる気の問題です。難民の子が日本で生きていくことを納得して、日本語や教科の勉強にスイッチを入れるのは、やはり難しい。内戦があった国から逃れてきた子が「日本にいる方が孤独で、内戦の続く母国にいるよりもずっと辛かった」と後になって話してくれたこともありました。
そんなスイッチの入ってない時に、無理矢理つめこもうとしても、うまくいきません。私たちにできるのは、スイッチを入れられるタイミングを、探すこと、待つこと。そのタイミングをサポートできるように、相談できる相手であること。困難な時期でも、つながり続けられる場所であることを、大切にしています。
ウクライナ侵攻で、難民に対する関心が高まっていると思います。私たちができることは、何でしょうか。
矢崎さん:日本に暮らしていると、外国の方に対して「どこの国から来ましたか?」と自然に聞いてしまうと思います。でも、難民の子たち、例えば、難民キャンプから来た子の中には、母国に行ったことがない子もいます。日本で生まれた2世、3世の子達も同じで、この質問に何と答えたらいいでしょう?ロヒンギャの子は、私たちからすれば、ミャンマー(という国)から来たことになりますが、ミャンマーの政権は自分たちを弾圧した側。彼ら・彼女らは、あくまで「ロヒンギャ民族」なんです。
同じく、「なぜ日本に来たんですか?」「いつまで日本にいるんですか?」というのも、難民の子たちにとっては、答えづらい・答えられない質問です。「マイクロアグレッション」ですね。気づかないうちに、相手を攻撃してしまっているかもしれない。
みなさんにお願いしたいのは、これは難民の子たちに限ったことではないかもしれませんが、目の前にいる子の後ろに「何かあるかもしれない」と想像してください、ということ。それを想像してもらうだけで、難民の人たちは、日本で生きやすくなると思います。
そして、できれば、難民の子たちをそのまま認めてあげてほしいです。多くの難民の子たちと関わる中で、自分を認めてくれる人と出会えた時、前に進める、スイッチが入る経験をした子がたくさんいます。それは、先生でも、友達でも、ご近所の方でもいいのですが、母国から遠く離れた日本で、誰か1人でも自分を認めてくれる人がいることが、大きな力になるんです。
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