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  • ボランティアから職員へ、eboardを支え続けた職員から見た代表像 NPO法人eboard 熊谷一亮 さん

    10年間にわたるeboardの活動。それを外からではなく組織の内側から、代表のそばで見てきたスタッフに、その変遷はどう映ったのか。ボランティアスタッフとして、法人化前からeboardに関わり、2019年度からは学校教員をやめて正職員になった熊谷。代表・中村と、これまでのeboardをふりかえります。

    • 熊谷 一亮

      NPO法人eboard

      熊谷 一亮

      千葉大学教育学部卒業後、ペンシルバニア州立インディアナ大学修士課程にて、英語教授法(TESOL)を専攻。大学院時代からボランティアとして教材作成に携わる。卒業後、中高一貫校で英語科教員を5年間務めた後、2019年度より正職員。教材制作や現場活用支援などを担当。

    アメリカ留学から 日本の中山間地域へ

    中村:かずさん(熊谷)がeboardに入ってくれたのは、法人化より前、2011〜12年頃だったと思うんですけど、その頃からふりかえってみましょうか。

    熊谷:はい。私がアメリカに留学してる時に、大学の学部時代の友達から連絡をもらったんです。「なんか面白そうなことやってる人が、動画の翻訳してくれる人探してる」って。eboardは、一時期、海外の教育動画の翻訳をやっていて。私は英語教育が専門で、当時アメリカの大学院で英語教授法(TESOL:Teaching English to Speakers of Other Languages)を専攻していたので、まさに関心と重なるところでした。


    ▲ アメリカ留学時代の熊谷

    熊谷:中村さんは、コンサルティング会社をやめた頃で、映像授業をバンバンYouTubeにアップロードしていて。今でいう「ユーチューバー」ですね。ずっとオンラインでのやりとりだったのと、eboardもまだ教育現場では使われていなかったので、具体的なイメージは持てないところはあったんですが、とにかくすごい大変なことにチャレンジしているなという印象でした。

    中村:私もたまたま東京にいたので、アメリカから帰国してすぐに会いましたよね。実際に会ってみてどうでしたか?

    熊谷:帰国して親に荷物を預けて、そのまま中村さんに会いましたね(笑)。こういうことやっている人ってガツガツしているイメージがあったんですが、淡々としていて。けど同時に、内側に若者らしい熱意を感じました。

    帰国した後は「なんかできることあったら手伝おうかな」くらいの気持ちだったんですが、2〜3ヶ月後には「一緒に島根(吉賀町)に行きませんか?」みたいな話になって。帰国したのが5月だったんで、仕事に就く翌年の4月までは、まぁプー太郎期間だったんですね。おもしろそうだし、一緒に行きましょうということになりました。

    中村:それが2013年、はじめてeboardを公立学校で使ってもらった年でしたね。私は夏休みの1ヶ月間、かずさんは半月、吉賀町で一緒に寝泊まりして取り組みましたが、どうでしたか?

    熊谷: すごく楽しかったですよ。毎日とにかく現場で、目の前で起きていることだけにまっすぐ向き合って、夜中まで作業するんですよね。そして、改善したものを次の日にまた学校で生徒に使ってもらう。そのくりかえし。熱量と勢いだけで、あっという間に毎日が過ぎていく感じでしたね。


    ▲ 吉賀町内中学校のパソコン教室にて。熊谷と学習支援コーディネーターの新原さん。

    中村: 先生になったのは、その次の4月ですよね、2014年。eboardの正職員になったのが2019年で、その間ずっとボランティアとして関わってくれてましたが、ボランティアという立場で見てきたeboardは、どんな感じでしたか?

    熊谷: 最初の頃は、コンテンツ(教材)を増やしていきつつ、まだeboardを使っている現場も多くなかったので、島根県の学校や教育委員会、学習支援NPOなどに広げていこうと、中村さんが全国を飛び回っている、まさに「創設期」という感じでしたね。東京に来るときは、うちに泊まってもらうことも多かったので、よく話を聞かせてもらってましたが、だんだんと、感度の高い方々に認知が広がってきて、自然に使ってくれる人が増えていく段階に入っていったように思います。

    「学ぶ」とは?「学力」とは?

    熊谷: そんな中で、2015, 16年くらいからかな。eboardの中で、「どういう学びが良い学びか?」「身につけるべき学力って、何なんだろう?」というような、そもそもの「学び」に向き合う話題が出てくるようになったと思うんですが、中村さんの中で何か変化があったんですか?

    中村: そうですね。元々私は学習塾業界にいたので、ストレートにいうと「地方は塾がない=(教育環境として)恵まれていない」、最初はそういう、かたよった考えを持ってしまっていたところがあったんですよね。「学習=学力や点数を上げること」、今思うとめちゃくちゃ狭い世界観でしたね。

    熊谷: 出会った頃の中村さん、「無理矢理にでも勉強させるべき」って言ってましたからね(笑)。大きく変わりましたよ。

    中村: それはひどい(笑)。でも、そういう言葉が出てきたのは「学力」をつけることが、絶対的に「その子にとってためになる」って信じてたからだと思いますね。テストの点数を伸ばすだけだったら、無理矢理にでもやらせて、勉強時間を確保したらいい。 塾業界や貧困家庭の学習支援に関わる中で、学力はその「負の連鎖」から抜け出せる道だって思っていました。それは今もそうで、「学ぶこと」は、その子の可能性や将来を切り開いていけるものだと、信じています。ただ、「学び」や「学力」の定義は大きく広がったし、変わりましたね。

    実は、もっと前の段階から「点数を伸ばすことに、何の意味があるのか?」みたいな疑問はあったんですよね。塾や予備校、都会のマンモス校しか知らなかったら、もしかすると、そのまま疑問を放置していたかもしれないですけど。島根でたくさん学校に行かせてもらって、放課後や地域の社会教育も経験させてもらう中で、それが解きほぐされて、変わっていったように思いますね。


    ▲ 公民館でのeboardを活用した学習(島根県益田市)

    熊谷: ボランティアとして断片的に見ていると、清明高校での取り組みの影響も大きかったんじゃないかなと思うんですけど、どうですか?

    中村: たしかに。小中学校での不登校経験とかもあって、高校生だけど「通分できない」とか「be動詞わかんない」という子もいるんですよね。当然、高校レベルの内容ができるようになった方がいいのはわかるんだけど、限られた学び直しの時間で小学校から始めて、みんなが高校の範囲までは学習しきれないんですよね。

    じゃあ、その子たちが卒業して社会に出るまでに「何をしてあげられるだろう?」って考えた時に、 点数の話は優先度が下がるんですよね。方程式が何問解けたかは、比較的どうでもよくて、 その子がそもそも「わかった!できるようになった!」とか「自分の力で学んだ」っていう経験がなかったり、「自分に合った学び方がわからない」みたいなことは、学校にいる間にサポートをしてあげないといけない。それは、社会に出た後も必要な大事な力で、いざ「資格を取りたい」とか「やっぱり大学に行きたい」とか、そんな時に人生を支えてくれる力になるからね。

    熊谷: ちょうどその頃から、「自ら学ぶ」とか、そういう言葉がeboardの会議でも出てくるようになったように思います。(東京学芸大学の)森本(康彦)先生との出会いも大きかったんじゃないですか?

    中村: そうですね。森本先生は、自分が感じていた学力観に対する疑問や「もやもや」をちゃんと問い直してくれました。そこから、自己調整学習や足場かけをはじめとした教育学や学習理論を学ばせてもらって、今のeboardがある。もちろん教材だけでそれは実現できないので、そこでの人の関わりや、eboardを使わない場面を含めて、子どもたちの学びを捉えていくことが大切で。eboardが掲げる「学びをあきめない」が決して偏差値や点数が高い状態ではなく、「自ら学ぶ力」がある状態だと、組織の中でも共有されていきました。

    熊谷: 大きい変化ですね。その変化がなかったら、私も職員にはなってなかったかも(笑)。中村さんの中では、スパッとどこかのタイミングで切り替わった感じだったんですか?

    中村: いや、思い返すと時間もかかったし、結構しんどかったですね。自分のこれまでの経験を否定していく側面もあったし、外には出ない葛藤があったと思います。当時は、まだ今の学習指導要領に変わる前で、点数ではない学力観の話は、先生にも伝わりづらかったですね。

    今はだいぶ変わってきましたが、eboardという教材も当然(狭い意味での)学力を上げるためだけのツールに見えていたし。学校や先生にとっても、「学力向上」って言えば大義名分が立つし、わかりやすい。「自ら学ぶ力」とか「主体的に学ぶ」みたいなことって、まあ今だったら普通に話せるけど、当時は「理想を語ってるだけでしょ」「学校の外の人間だから、そんな甘いこと言えるんでしょ」って感じでしたね。

    それでも、かずさんや漁野(eboard正職員)さん、他のメンバーも、「点数や偏差値より、自ら学んでいける力が大切だ」という考え方を否定せずに、むしろ後押ししてくれたんですよね。時間はかかったけど、みんなで変わっていけたんじゃないかと思います。


    ▲ 2017年のeboardの理事、中心メンバー

    教材が学習者に投げかけるメッセージ

    熊谷そうした学習観や学力観の変化に合わせて、eboardの教材も、この10年でいろいろと変わってきましたね。最初の頃のeboardって、問題はランダムででてきて、問題に連続正解するとコンボとかありましたよね。

    中村: あったあった。記事を読んでくださる方のために補足すると、今のeboardって、動画があって、問題があって、これが決まった順番に出てくる、学習を進めるんですね。でも以前のeboardは、単元の中でランダムに問題が出題されてたんですよ。当然、最初は簡単な問題から出る、間違えた問題は再出題されるとかだったんですけど、それが1問5点の加点形式で、100点になったら単元の学習が終了という形だったんです。つまり20問正解で学習終了。

    そこに少しゲーミフィケーションの要素があって、連続正解するとコンボになって1点加点されるんです。2問連続正解すると5点と6点で11点になって、3問連続だと5+6+7だから18点ってなってたんですよね。当時はこれがいいと思って作ってたんですよ。


    ▲ コンボ機能があった当時の学習画面。

    熊谷: そうそう、そんな感じでした。

    中村: ただ、これって子どもに何を伝えてるかっていうと、「連続正解することは素晴らしい。けど一度でも途中で間違えると、台無しになってしまうぞ」って脅してるようなもんですよね。極端な言い方ですが。

    大人は、連続正解にチャレンジする子を見て「真剣になってる」ととらえるけど、 そんな圧力がかかって発揮される力はちがうよなって。そんな圧力って、eboard以外の学習や生活や社会の中での学びでは、起きない状況ですよね。それは、自分を動機づける力、それを育む機会を削いでしまう。さらに、不登校の子とか学習に不安がある子にとっては、すごいプレッシャーですよ。

    「問題がランダム」「正解するまで終わらない」っていうのも、勉強に否定的なイメージがある子にとっては、受け入れがたかったんですよね。次の問題、何が出るかわかんないんだよ。もちろん、できる子はどんな問題が出そうか、予測できる。けど、しんどい子にとっては、当たり前っちゃ当たり前かもしれないけど、心理的にね、つらいですよ。

    熊谷: 今は、ドリルの問題に「◯」のマークがあって、あとどれくらいやったら終わるのか、わかるようになってますね。

    ▲現在のeboardの学習画面

    中村: そうですね。あれは結構ふり切っていて、問題に間違えたとしても、とりあえず取り組んだ箇所には色がつきますよね。間違っていると「?」の印はつくけど、それ以上何も言わない。多くのデジタル教材は、間違うと進めないとか、なんか悪い色に変わるとか、とにかく「君はできていないよ」ってメッセージを伝えるものが多い。でも、eboardは、もちろん正解だと「◯」、不正解だと「?」が出るけど、それ以上は何も伝えない。「君は解いた」とそれだけ伝えているんだよね。正解でも不正解でも。

    これは当然「正解を出すための学習」「知識や技能を習得するための学習」としては、定着が測りづらかったりする面もあるんだけど、学習経験が少なかったり、否定的な経験を積んできてしまった子には、まず安心して学べるものを提供したい。問題を間違えても「お、やってるね」くらいでいい。こういうことの積み重ねが、eboardのこだわりだし、それが今多くの子が「eboardだと、勉強ができる」と言ってくれている理由だと思うんだよね。

    学校教員をやめるという決断

    熊谷: 私、当時から思ってたんですけど、教員になる前からeboardに関わっていて、すごく良かったなって思うんですよ。子どもたちと向き合うとき、特にどちらかというと勉強が苦手な子たちと向き合うっていう発想が、あまりなかったんですよね、大学時代は、どちらかというと「できる子をもっと伸ばしたい」みたいな発想だった。

    eboardと出会ったことで、「こんなに学びが苦手な子がいるんだ」みたいなのもわかったし、「この子たちもわかるようにするには、あそこまでさかのぼらないといけないな」とか、子どもに寄り添って考える視点は、eboardの経験を通して、自分の中に芽生えてきたことだったんです。

    おそらくeboardとの関わりがなかったら、「できない子」として一括りにして、自分はそれほど深入りできなかったんじゃないかなって思ってます。なので、そこから、「学びをあきらめない」っていうのは、教員時代にも、私の中でもミッションになっていました。

    中村: いや、覚えてるよ。かずさん、いつも家のドアにホワイトボードかけてたでしょ。家を出る前に、見れるようにって。なんか名言が書いてあったり、tipsみたいなの書いてたりしたんだけど、そこに「学びをあきらめない」って書いてたんだよね、先生やってる時代に。それを見て、この人はやっぱりeboardで働いてもらわないといけない人だ、って思ったんですよね。



    熊谷: そうだったんですね。恥ずかしいなぁ。

    中村: けど、そこからいざ先生をやめるって、結構大きい決断じゃないですか。私は「いつ誘ったらいけるかな?」みたいな様子を見てたんですけど、 最後の年、教員5年目の時とか、結構ゆらぎがあったよね。

    熊谷: 最後の年は、教えてた生徒の中に、不登校の子がいたんですよ。結構気にかけてたんですけど、 私立だったので、学校やめるっていう話も出てたんですね。最終的にはやめるところまではいかなかったんですけど、別にその子は友達がいないとかでもないし、勉強はどちらかというと、できる方だったので。自分でも「理由はよくわからない」って言いながらも、学校に行きづらかったと。少なくとも、私にはそう言ってたんですね。

    そのときに、その子がもし学校やめちゃったら、私はもう何もサポートできないなってことに、無力感を感じて。当時の結構大きな悩みの1つだったんです。あとは、5年間教員やって、アメリカで学んできたことも含めて、授業に関して手持ちのネタを出しきった感があった。 成長しづらいな、みたいな。自分が成長しないままというのは、もちろん子どもたちにも申し訳ないし、学校にも申し訳ないし、私はこのままでいいのか、みたいな感じはありました。

    その時に中村さんからeboardの正職員にならないかって言われて。悩んだ末、eboardにいくことにしました。

    中村: かずさん、本当にいい先生だよね。今年でもう職員になって5年目ですが、どうですか?

    熊谷: 私はコンテンツ(教材)制作担当だったので、正直、教材作り終わっちゃったらどうすんだろうって思ってたんですよ。でも、そうじゃないんだなって。教材の学年とか種類を広げるだけじゃなくて、「やさしい字幕」をはじめとして、いろんな機能、工夫を重ねて、深めていく方向に動いていくんだなって。

    言い換えると、同じ教材でも、対象になる子たちが増えたという感じ。発達障害の子とか、ろう・難聴の子とか、外国につながる子もそうですけど、今まで「勉強が苦手」で一括りにしていたところの解像度が上がったという感じです。

    解像度が上がったから、そこをカバーできるアプローチ ができるようになって。SNSとかでの声も、そうした困っている子や保護者の方からも来るようになったじゃないですか。 そういう変化を感じていて、とてもいい変化だと思っています。

    本当の意味での「学習者起点」を広げていきたい

    中村: では最後に、eboardの職員として、今後の抱負をぜひ聞かせてください。

    熊谷: eboardの根幹の部分、「学びをあきめない」とか、教えるのではなく、子どもたちの学ぶ力が育つ、伸びるのを支援する、そんな発想が、日本全国に受け入れられるようになったらいいなって思っています。



    中村: 清明高校の山下先生が、同じこと言ってましたね。結局、子どもが学びの主体者で、担い手であるというか。別に子どもに限らず大人もですが、「学習者が学びの主体」ですよね。平たくいうと「学習者起点」ってことなんですが、そう言いながら、それが大切だと言いながら、どうしても教えたり指導したりっていうのが、まだメインになっちゃっている。そこが変わるとすごく大きく変わりそうですね。

    熊谷: そうですね。eboardという教材もそうですが、この10周年の記事とか、そうしたメッセージを発信していくことも、今後取り組んでいきたいなと思います。

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